プログラミング言語で語る

d:id:yaneuraoが面倒そうなコトになっている(該当記事)。

プログラミングのコトには限らないけれど、自分のある部分のコトをすごいと思っていると、どうしてもその気持ちを日本語で表現したいと考えてしまう。しかし、力量は日本語で説明しなくても結果が説明してくれるはず。逆に言えば、日本語で語られていない部分で認められた力量こそが本当の力量だ。

プログラマとしての自分の力量を語るのは、日本語ではなくプログラミング言語で語らなければ意味はない。小説家は日本語で自分を表現し、プログラマプログラミング言語で自分を表現する。いいブログラムを書けば、「○○を書いた誰々」というコトになる。日本語が必要なのは、自分が書いたプログラムに対する補足説明の際だけだ。

どこかで見たような文章だが、自分自身への戒めとして。